●曹洞宗の歴史
 曹洞宗は、インドでお生まれになられたお釈迦(しゃか)さまの教え・おさとしを幾世代にも渡り、祖師方が
悟りの生活を通して師匠から弟子へと受け継がれ、インドから中国へ、そして日本に伝えられてきた正伝(しょ
うでん)の仏法(ぶっぽう)です。
 今から800年ほど前、鎌倉時代に高祖道元禅師(こうそどうげんぜんじ)様が中国から日本に伝え『正法眼蔵』にまとめられました。
 4代目太祖瑩山禅師(たいそけいざんぜんじ)様は、その弟子達とともに、各地に教えを広めました。その様子は、『伝光録』に記されています。
 このお二人の祖師を「両祖」と呼び、お釈迦様と両祖の三師を「一仏両祖」としてお祀りしお慕い申し上げ、信仰のまことをささげています。

 拝む時は「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」と、お唱えして礼拝します。
 現在では、全国に約15,000の寺院と、約1,200万人の檀信徒がおります。

  ●教義   
      わたしたちはみな仏(ほとけ)の子(みこ)であり、生まれながらにして仏性を持っています。しかし、それに気づかずに
    わがまま勝手をして人生の悩み苦しみのもとを作っています。
      しかし、仏教徒としてお釈迦様の教えに出会い共感し、自らの過ちを悔い(懺悔さんげ)し、命の尊さに目覚め(智慧ち
    え)、その生きる姿勢を慕い(禅定ぜんじょう)自分たちの生活の指標(戒)としていくことを志していく(帰依きえする)なら
    ば心が落ち着き、おのずから生活が調えられて明るくなり、社会のお役に立つことを喜び、また苦難にも耐えて生き抜こ
    うとする信念が生まれます。
      そして、生活を調えていくうえで、教えをいつも自覚(布施)し、自分勝手な行動を慎み(愛語)、周囲の人たちに心を
    砕いて(同事)いくことが、社会に奉仕(利行)していくことにつながると考え、実践していこうとしている教えです。
        
 ●両祖と大本山
  高祖道元禅師の福井県の吉祥山(きちじょうざん)永平寺(えいへいじ)
 高祖道元禅師が1244(寛元2年)に、お釈迦さまの教えを正しく伝えられた仏道修行の根本道場であるとい
う高い理想のもとに開山されました。

  750年の伝統を誇る永平寺は、今もつねに200余名の修行僧が日夜修行に励んでいます。
 1200年(正治2年)京都で生まれた道元禅師は、13歳で比叡山に入山。   
 1223年(貞応2年)宋に渡り修行、1227年(安貞元年)に帰朝して後、京都山城に観音導利
興聖宝林
寺を開きます。
 1243年(寛元元年)越前に入った道元禅師は、翌1244年(寛元2年)大佛寺を建立。 
 1246(寛元4年)に大佛寺を「永平寺」に改称。

 1615年(元和元)に徳川幕府は、それまで室町幕府により庇護されてきた臨済宗の五山十刹に対して法度を
出し、曹洞宗總持寺とともに永平寺も大本山となります。

 
     
  太祖瑩山禅師の横浜市の諸嶽山(しょがくさん)總持寺(そうじじ)
 石川県にあった諸嶽寺を、1321年(元亨元)、太祖瑩山禅師が諸嶽山總持寺と改められたのが始まりです。
 明治時代の焼失を機に横浜市に移転しました。交通の便もよく、開かれた禅苑として国際的な禅の根本道場として
偉容を誇っています。
 瑩山禅師によって開創された大本山總持寺は、
13000余ヶ寺の法系寺院を擁し宗門興隆と正法教化につとめ、能
登に於いて
570余年の歩みを進めてまいりました。
 明治31年(1898413日夜、本堂の一部より出火、フェーン現象の余波を受け瞬時にして猛火は全山に拡が
り慈雲閣・伝燈院を残し、伽藍の多くを焼失してしまいました。

 明治38年5月、本山貫主となられた石川素童禅師は焼失した伽藍の復興のみでなく、本山存立の意義と宗門の
現代的使命の自覚にもとづいて、大決断をもって明治
40月に官許を得、寺基を現在の地に移されました。

曹洞宗(そうとうしゅう)

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