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開山と開基って?

 観音像に眷属として置かれている。東西南北・上下に各4部、北東・東南・北西・西南に各1部ずつ配され、合計二十八部衆となる。千手観音のお経を誦持する者を守護している。世明寿寺の観音堂のものは、京都の三十三間堂同様、風神・雷神も加わり30体となっている。
 いずれも像高60cm前後の檜材寄木造りで彩色等は残っていない。小像ではあるが、体幹部と両側側面材の三材を大きく寄せ内刳ったものもある。この眷属像は、数グループに分けられ、観音像と余り隔たらない時期の造像ではないかと考えられるグループもあるが、少々バランスを崩し、時代の下ると思われるグループもある。

東ア山の由来は?

開山とは、寺を開創した和尚。
開基とは、開創するに当たり、主に資金面等で支援した人。

「世の中を明るく幸せにしたい」という願いから名付けられた。

千手観音って?

算額って?

世明寿寺の由来は?

 

28部衆って?

世明寿寺が比企丘陵の東端(岬=御崎)に位置しているところからつけられた。

 千の慈眼、千の慈手で衆生を済度する観音様。合掌手の他に左右に二十手ずつあり、一手で二十五有界の衆生を救うので四十手で千となる。頭上に十一面を置く。
 世明寿寺の千手観音像は一本造り、玉眼で、現在は彩色も漆箔も見られない。宋風の影響が認められるが、衣文の彫りは浅くやや類型的である。南北朝前後の造像と考えられている。
 頭部には頂上仏と化仏及び変化面七面を残す。臂数は四十二式であるが現状は二十七手である。体幹部は一木でできていて、両脇の臂は別材を用いている。頭部及び体部の背面二カ所から内刳を施し、それぞれを背板で覆っている。これは平安時代前期に見られた、古様の技法である。材は、東日本では比較的後代まで用いられた広葉樹(欅あるいは楠)である。法量は、像高182cm、頭頂〜顎53.5cm、臂張53.9cm。

 数学(和算)の研究や勉強のために、神社仏閣に奉納した絵馬のこと。世明寿寺の算額は、地元の住人、小堤幾蔵が明治10年に奉納したもので、問題解答の左側や下段には客席各社中の教員、門人の氏名が書かれており、当時の地区の学者などを知ることができる。

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